35歳で成り行きで転職したら全てがハードモードになった件

まいどダンケシェーン

7か月ぶりくらいの更新ですが

これはアレです

よくある「一旦ブログ挫折した奴がたまにやる気だして復活する」現象です

 

決してこの7か月の間にうつ病になって休職に突入したからでもなく

診断が双極性障害に代わり、ハイになったタイミングなので書くということでもない

 

ブログ挫折から復帰したのだ

という信念であります(どう見えてるかは知らない)

 

 

でも多くの人に伝えたいことがある

 

無理すんな

精神的におかしいと自分で感じたら

早く逃げろマジで

 

以上、この記事の言いたいことは終わり

 

 

 以下は3年前までオラオラ系の営業マンであった筆者が

色々と間違った判断に至った結果

自力ではパニック状態から抜け出せず、自分の車で休憩中に涙と震えが止まらなくなり

自殺決行に至る寸前心療内科に駆け込んで

うつ病の診断書をもらい会社を休職することになり

7か月経過してやっと文章が書けるようになった話を

ダラダラ書いていくターンです

 

 

 なんでこうなってしまったのか

これからどうすればいいのか

「ああやってれば回避できた」はもう遅いが

なにかしらこの無念の言霊を発射できないものか

 

いわゆる頭おかしい人間の文章なので散らかって読みづらいのはご容赦願います

  

・35歳転職限界説にとらわれ思いっきり踏み外した

 時は200X年・・・とかではなく2016年

前職の会社で前述のようにオラつき系の営業スタイルかつ

社内のミーティング等でも基本態度がでかい状態で仕事していた

会社の歴史上最速で課長代理になった男というくらいの

変な能力発揮はできていたんだろうと思う

 

 しかしながら、会社そのものが組織の変更等があり

周囲の退職率もヤバいレベルで上がってきていたので

「このまま行って40歳の時に倒産とかになったら笑えねーぞ」

という理由で知人の知人の紹介で転職を決意したのである

 

 直接的な取引先に逃げるのもなんかイヤという感覚があって

付き合いのない同業種で営業を募集してるという話だったので

行くことに決めたのである

しかし面接の時に・・・である

 

・得意なこと、やりたいことにこだわらなかった結果

  最初は現場(工場)で研修をしてもらう、という話であった

「大体なんでもできますよー、外科手術とかは無理ですが」という

あんまりこだわらないスタイルで行ってしまった、これが最初のミスである

結果として2年半現場に居た

 

 そもそもの社風として私の本来の性格(と、思っていた)と合わない固い社風であり

今として思えば私の次に入った若者が営業に即配属された時点で

見切りをつけておくべきだった

 

 「まあ、いっか、いずれ俺が必要になンだろ」

とダラダラと好きでもない仕事を続けていくことになった

今にして思えば私は髪が長い状態をキープしてるんで

そもそもいつまでたっても外向きの要員としては必要なかったんだろうな

・双極性はもともと持ってた気質なのに

 そしてこれは心療内科の先生と話をしていく中で分かったのだが

今思い返してみると営業職時代の私は

「半年フルスロットル、半年流し」という労働スタイルで生きていた

 

 半年間の好調期間にフルパワーで動き、企画し、商談し、売り込み

残り半年の期間はスーパーの駐車場等でノンビリしつつ

好調期間の活動の刈り取りと対応を行って最終的に予算達成を狙うというものだった

 

 躁とうつを上手くコントロールできる環境だった(というか作った)

それで回っていたので躁うつの自覚は全くなかった

若い時バイトしてた時の店長に「ムラあるな~」と笑い半分で言われたことくらいしか

躁うつエピソードを認識していなかった

・人間関係は全く問題なかった、しかし・・・

 話は戻り現職の工場である

コミュスキルはそれなりにあるので横のつながりの中で敵対する人はいなかった

問題は「俺は対立軸ないけど他の連中同士がクソ仲悪い」ということである

 

 前述の1ミスをつっつきまくる固い社風も相まって

私はハリムシロ板挟み愚痴聞きマシーンへの道を進んでいった

(便利なんだろ、マジックザギャザリングの無色1のクリーチャー的な)

 

 「(いや、なんでそんなレベル低いことで大の大人が・・・)」と思いつつ

着実に俺はすり減って行った

困ったことに皆私に好意的なのである

 

 しかしながらコミュニケーションのほとんどはネガティブ

狭い世界では縁切りできるはずもなく

かといって転職するほど待遇が悪いわけではなかった(収入は過去最高だった)

 

・興味ないけどまあいいか、の果てに

 本来向いてない業務内容の継続に加え

自分のトークスキルもプレゼン力も企画力も発揮できないまま2年が経過した

しかもミスなく常に気を張ってないといけない環境とネガテョブコミュニケーションで

確実に能力が低下していくのを感じた、前職での人脈も消えたも同然だった

 

 しかしながら任された自分のポジションというのが明確に存在し

上司も自分的には尊敬できる人であったので

とりあえず自分に託されたラインを改善していこうという目標はあった

 

そして時は来る

・俺は何をどうしたらいいのだ?

 初の異動命令が下った

社風的に基本拒否は難しいし、「もしかしたら風向き変わるかな」

くらいの感覚で受けた

しかしながらヤバい状況であることを直感的に察していた

 

これらのツイートである

 

 具体的には隣の工場に異動するだけなのだが

仕事のやり方がまるで違う

前提として「アイツは出来る」という前評判で投入されているので

よくわからなくとも状況は進んでいく

 

 最初はたまにパニック状態になる程度だった

とりあえず会社としての仕事内容はわかるのでちょくちょく頭を整理しつつ

なんとか状況に対応して進めていった

 

しかしながら、ケアレスミスが異常に増えた

間違えた作業に気づき修正しつつまたミスして戻す

自己嫌悪の色を濃くしていきつつもなんとかトラブルなく

よくわからない範囲の役割を遂行していった

 

・あがこうとするも思考と行動が停止していく恐怖

 そして次第にパニック状態の時間が伸びていく

フォークリフトに乗った状態で

「俺は、何を、どのように、すれば、、、いつ、どこに、、、なんで?」

こんな状態である、足はすくんでいる、朝から疲れ果てて溜息しか出ない

 

 ここで最後の意地である

「それでも俺は最後まで気づかれず完璧に終わらせた」

 

 この間に気分転換になるだろうと幕張メッセで行われたVAPE EXPO JAPANに

三泊四日で参加した、最終日は渋谷に行き非常に楽しく充実した時間を過ごせた

それまで悶々と悩んでいたことが全て完治した気がした(ここで躁状態

四日で40万ほど散財したが「またガッツリ稼ぐぜ」みたいな感じだった

結果としてここからの落差が私のメンタルに決定的なダメージを与えたと思う

 

chikuwa3594.hateblo.jp

 この記事を書いてから10日後には私の心は完全に折れていた

 

 繰り返す終わりの見えない向いてない日々により

すごいスピードで精神が悪化し、自分の車で休憩中にも震えはじめたので

私は覚悟を決めて家から一番近い心療内科に電話で予約した

精神科」とか「メンタルクリニック」を選ばなかったのは

何かしらの最後の防衛本能みたいなもんだったんだろう

うつ病診断からの復活を目指すが・・・

 人生初の心療内科にて自分の涙、震え、疲労

あと「本が1ページも読み進められない」

「〇がうざい(家庭上の問題であり伏せる)」

といった訴えを行ったところ「抑うつ状態」という診断が下る

 

 とりあえずの診断により何故か少し安心した私は

通院して服薬しつつ仕事を継続しようと考えた

最初に処方されたのはレクサプロ、ゾルピデム、ロフラゼプの3種だった

「とりあえずある程度元に戻ってくれたら・・・」という

攻めるのか守るのかよくわからない心境だったのを覚えている

こののち私はレクサプロによって全ての能力を失うのだが・・・

 

 とりあえずの処方により明確に精神が回復している自覚を持てた私は

今にして思えば「一度脱出できた熱湯風呂に再度突っ込む馬鹿」

のような状態だっだ

・「よっしゃ!治ったぜ!薬ってスゲーな!」からの奈落

   主にレクサプロの効果が感じられてからの回復は凄かった

心療内科の先生曰く「そんなにすぐ効く薬じゃないんだが・・」ということであったが

プラシーボ効果というやつなのであろうか、なんとかなりそうな状態となった

そして心が上昇曲線となり2週間ほどであろうか

私は非常に気分が高揚し、再度の非常識な(しかも返品などできない)散財を行った

 

 「あからさまに気迫に満ち溢れすぎている」という懸念を先生に話し

そこから具体的に話をしていくと(普段の診察15分だがこの日は45分もあった)

「それは双極性障害の症状、しかもかなり以前から」という診断に変わることになった

薬を変えないといけないとのことで

炭酸リチウム、ゾルピデム、クエチアピン、ロフラゼプ、ミグシス

しばらくしてからラモトリギンも追加、ということになった

 

 抗うつ薬から気分安定薬に変わったということらしい

あまりの種類と量に「精神科医はすぐ患者を薬漬けにする」

という批判が周囲から聞こえて来たりしたものの、私の心は非常に安定した

 

・再度の人事異動、後方に向けて進軍!

 薬変更直後にまたも落差の大きいうつ状態に陥った私に

再度異動の打診が来る、「俺ばっかじゃねーか」と思ったが

会社としては元居たポジションが新機材導入する予定で

慣れてる私に戻したかったらしい、が、その時の精神状態では判断もできなかった

 

(精神を病んでるのがバレてしまったのではないか・・・?)

(今のポジションに置いてはみたものの、全然役にたたねーから戻すのか?)

(そもそも俺ってこの会社に来た時、何がしたかったんだ?)

 

 色々なことを考えながらも、一応は会社が必要としてくれているみたいなので

私は異動の打診を受けた、とりあえずそのポジションのキャリアは長かったのと

「まさに今、ここ、この立ち位置」

から逃げ出したかったからだった

見出しのアレは「島津の退き口」の逆である

 

 結局再異動受入日から感情のジェットコースターに乗った私は

異動日前に休職申請をすることとなった

再異動の内容自体はむしろ望ましいことだったが、今でもなぜ悪化したかわからない

立ち位置のメリーゴーランドに飽きたのだろう

・休養開始して

 もうそろそろ休職7か月半くらいになる

最初の頃はベッドで寝た切りみたいな状態だったんだが

運動は絶対やったほうがいいとのことで、夜10キロのウォーキングを行っていた

不思議と抑圧感と焦燥感が消えていくので

最初のころはウォーキング中毒と言っても差し支えない状態だった

みんなやったほうがいいよ散歩

 

 翌月からは週2~3回ジムに通い、ある程度のテストストロンを出して

心身共にパワーの増強を図っていた

 

 しかし、会社的には多分私がもうこのまま休職続けて退職するんじゃないか

と思っていると思われる、休職延長の時に直接会社に行こうとしても

初回が大雨の日で延長してその後全く連絡なかったしな

 

 私としてももう少しである程度の状況にまで回復する感じではあるんだけど

バラバラに割れた皿を集めて出して「皿です」と

そんな感じで非常に扱いの難しい存在になってしまったんだろうと思う

重要なことは任せられんし、経験を積ませるのが負担にも(そんなシーンなかったが)

「そもそもあいつ営業希望でウチに来たんじゃなかったっけ?でもさせられんし」

みたいな

 

使ってしまった休職制度という大いなる結界により

会社:早く元気になって戻って来いよ!(もどってきても扱いにこまるな・・・)

私:一日も早く復職目指します!(治ったところで戻ったら再発するんだよな・・)

 

 こういった、銀ギツネとタヌキの化かし合いなのである(ほんにゃら)

会社の休職期間が最長2年

その中でなんとかしないといけないのである

ここからがタイトルの「ハードモード解説」にあたる

・現状詰んでるけど開き直ろう

 最近はツイッターで同じ双極性の方やうつ病の方をフォローさせてもらってるけど

それでもみなさん普通に働いてる人も多い

 

 しかし私は38歳のオッサンなのである

なんていうかまだ微妙に諦めが付かないのだ

1・ (病気を隠して)他の会社に行くか

2・(障碍者手帳もらって)その枠で就職するか

3・この期間を何かの習得に費やして1人でどうにか生きていくスキルを付けるか

 

 1は多分もう難しいのである、営業人脈とかもう薄れ切ったし

そもそもの軸であるコミュニケーションとトークのスキルが大幅になくなってしまった

最悪、信用を得てる知り合いのいる企業に入らせてもらうくらいか

 

 2は、正直そんな世界を考えたこともなかったのでどういう感じなのかわからない

私を雇えば市から補助金が出る、ということならそういうジャンルの中では

使い勝手がいい側にいると思う私は(また使い勝手か)

 

3がとりあえずいつでも始められるので、いろいろやっている

 
・プログラミング習得

昔HTMLつかってウェブサイト作ってたので入口は難しくなかった

Progateの有料会員でRuby on Railsあたりで収集がつかなくなってきたので

何回か復習して、何かしら自分の作品つくって仕事にむすびつけたら・・・

なんて甘くはなさそうなのよね!

 

懸念

プログラマー35歳限界説等、年齢的にハードル高い

Youtubeでプログラミングいいと言ってる人々、今プログラミングやってるか?

③それ系の求人、下関市に1件(1社)しかなくないか?

 

でもまあ出来て損はなさそうなのでHTML・CSSRUBYくらいは習得したいね

 

せどり

 ここ三日ほどで暇な時間を使ってせどりをやり始めたのだが

まあ鉄板のブックオフハードオフヤマダ電機エディオン・ザビッグ・

ホームワイドコメリと色々行った

 

利益出る商品見つけるの難しいが、自力で見つかると達成感あるのよね

仕入れに金かかるっていうのはあるけど、あえて私は推したい

 

せどり仕入れ、うつに効果的説

 

懸念

①一部同業者がキモいというかなんというか

いろんなとこでスマホもって同じ事やってる人を見るんだが

なんでみんな清潔感ないねん、と思う

所作もこう、、、カゴの中を商品を探すのも店は別に禁止してないけど

「金・・お金・・・おかね・・・!(ガサゴソガサゴソガッバシッ)」

みたいな感じ鼻息荒くムキになってカゴを掘り返しまくってサーチしてた人を見た

転売できるような商品じゃなくても、誰かの手を経由して今ここに来て

 

 これから誰かの手に渡って、大きく役に立つかもしれない「お 店 の 商 品」を

さながらゴミみたいにバシバシはねのけつつスキャンしまくる

「三色チーズ牛丼特盛温玉付き」みたいな顔した彼は最終的にはオムツ1袋を

お買い上げであった

オムツ1袋をお買い上げであった

オムツ1袋をおかいあげであった

※大事なことなので3回いいました

 

あと別の店でも悪臭放つハゲがせどりやってたんで

 

 「俺ってこのランクにまで落ちたのか・・・」とちょっと心が痛くなった

楽器系の知識があるんでそこである程度儲かりそうなんだけど

この三日間で見た同業者のあの感じを見ると大分気分も萎えている

 

 

 ・伝えたいこと

・急いで転職せずに倒産まで粘るのもアリ
・自分の要望は確保すること
・ヤバいと思ったら早めに逃げる
・対決はすべき(性格による)+負けゲームは捨てる
・どうせ同じじゃね?(同一労働同一賃金

 

 ・おわりに

 なんかもう何もかもどうでもいい